2021/7/2
コラム
【コラム】雑考~レオナルド・ダ・ヴィンチとイントラパーソナルダイバーシティと抽象的思考力~


研究員 森家明味
レオナルド・ダ・ヴィンチの名を、ご存じの方は多いと思う。
いわずと知れた、卓越した発明家であり技師、そして比類なき史上最高の芸術家の一人である。レオナルドはあらゆる事象に興味を持ち、すさまじいまでの観察眼で対象を細部までとらえる。興味を持った対象に対する考察の深さもまた超人的である。
膨大なレオナルドの手稿は現代に残され、そこには、大変精緻で芸術的ともいえる素描が描かれているだけでなく、それぞれの対象に対する深い考察が鏡文字で添えられている。

1510年頃、ロイヤル・コレクション(ウィンザー城)
一人の人物が、ここまで広範囲に知を探索し、その知を深めることができるとは。
レオナルド研究の一端に触れたならば、誰しもが、その凄まじいまでの才能に驚嘆を禁じ得ないだろう。
知の集合体たるウィキペディアは、レオナルドをこう紹介する。
『鏡文字、音楽、建築、料理、数学、幾何学、生理学、組織学、解剖学、美術解剖学、人体解剖学、動物解剖学、植物解剖学、博物学、動物学、植物学、鉱物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、化学、光学、力学、工学、飛行力学、飛行機の安定、航空力学、航空工学、自動車工学、材料工学、土木工学、軍事工学、潜水服など様々な分野に顕著な業績と手稿をのこした。』
実に、多様性に富んだ人物である。
さて近年、この不確実性たる世の中において、その重要性が議論されているのが、組織内のダイバーシティ(多様性)のあり方である。答えのない、不確実な世の中に対して、企業などの組織が柔らかく対応し、さらなるイノベーションを起こし続けるためにも、多様な人材のインタラクションが必要とされる。
さらにそれだけではない。最近では、ひとりひとりの働く人材、個人個人の持つ内面的な価値観やスキルの多様化も求められている。
個人内の多様性、イントラパーソナルダイバーシティという論点である。
近年、企業では副業の解禁やボランティア推奨の動きがある。これらの社外活動を通して、企業外部のネットワーク形成を生み出すだけではなく、人材の内面的な多様性を強化することが期待されているのだろう。
ふと考える。レオナルド・ダ・ヴィンチは、イントラパーソナルダイバーシティに異常なまでに長けた人物であったのではないだろうか。個人内の多様な知を活かして、イノベーションを生み出した人といえないだろうか。もしや現代の企業人たちが目指すべき人物なのでは!?
ここで一つの疑問が生まれる。もしも個人内の多様性を強化したとして、果たしてレオナルドのように、イノベーションにつながる発想がでてくるものなのだろうか。
例えば、組織の人材に、多種類の講座やワークショップを受講させれば、多様な知識を入れ込められる。しかしそれだけで、それらの知がつながり、活かされると、期待できるのだろうか。
おそらく、人材としての魅力はあがれども、それらをアイデアに活かせるかどうかは、人によるよね、となりそうだ。個人内の多様性を活かすには、何かもう一つ仕掛けが必要に思われる。
その仕掛けの一つとして、本稿では、抽象的思考力を取り上げたい。
抽象的思考力とは、物事を抽象的に考える力ということである。物事に共通して存在する概念を見出す力である。その対として具体的思考力があげられる。
現在では小学生(それも1年生から)国語で培われようとしている論理的思考力にも、抽象的思考力は欠かせない。例えば、はさみ、のり、えんぴつ、チョコレート、ガム、ポテトチップスを仲間にわけるために使われる能力である。
目の前にある一つ一つの物事は当然ながら違うものだ。そこに共通する部分を見出して、概念化していくことで、仲間わけが初めて可能になる。
「文房具」と「お菓子」あるいは、「食べられるもの」と「食べられないもも」、「口に入れると良好な味覚を得られるもの」と「口に入れても良好な味覚が得られないもの」などなど。仲間わけには概念が必要となり、概念を考えるためには抽象的思考力が大切になる。
抽象的思考力は決してつぶさに物事をとらえていく具体的思考力と相反するものではない。レオナルドのように、両方を伸ばしていくことが大切である。一つ一つの物事をつぶさにみる経験が豊かになれば、抽象する力も豊かになる。
抽象化する力が豊であれば、いかに離れた事象だと考えられるような事柄であっても、個人の中で知がつながる。ある種の類推(アナロジー)が可能になり、新しい視点を持って、イノベーションを起こすことも可能になる。
例えば企業の見地に立っても、その成功企業は業界も違うし、参考にならないよ、と考えることをせず、業界は違えども、この部分は同じ構造があるからこういうことができそうだ、と考えられるようになれば、新しい視点からビジネスが展開できる可能性も生まれるだろう。
レオナルドにこの手の抽象的思考力が備わっていたことは、彼の手記を読んでも明白である。正方形と円を見て人体を考察し、青い絵の具を薄く塗りながら、大気の層について考える。誰もが見飽きていただろう鳥も、レオナルドの目を介せば飛行機やヘリコプターになり、鳥瞰的で精密な地図になる。
レオナルドのたぐいまれなる観察眼と知への探究心、その知の広がりと深さは、絵画で統合され、そのかけらが表出する。それが感じられるからこそ、世に残された限られた数の彼の作品は、誰をも魅了する。

ポプラ版に油彩、77×53cm、パリ、ルーブル美術館蔵
さて、どうやれば私たちは、抽象的思考力をトレーニングできるだろうか。[1]
近年、絵画鑑賞がビジネスエリートたちの間で流行の兆しをみせているという。私的な意見であるが、ぜひ、抽象的思考力を身に着けるためにも、芸術鑑賞することをお勧めしたい。
なにを突飛な、とならないでいただければ幸いである。
芸術については有史以来、大変に哲学的な論考が重ねられており、現代では抽象的思考の帰結としての作品群が多く存在している。芸術に触れて、作品の細部を観察し、正解のない思考を重ね、洗練された感覚を体験する。それだけでも、十分に抽象的思考力が鍛えられはずだ。
芸術家たちは、その鍛え抜かれた目をもって、物事の詳細を観察し、そこに存在する本質をとらえてきたのである。
(了)
[1] ケースメソッドは抽象的思考力を向上させる効果も期待できる。
※次回は、芸術鑑賞に関するコラムを予定しています。ご期待ください!